2006年

ーーー9/5ーーー テレビでの見え方

 NHKの番組「新日曜美術館」で私の作品が紹介された。ゲストで登場した詩人の佐々木幹郎氏が、愛用の品であるメープルの小箱を披露して下さったのである。家族と共に番組を見ながら、私は自分の声を録音で聞くときのような、妙に気恥ずかしい気持ちになり、またいささかの違和感を感じた。

 作品を綺麗に見せるための撮影上の工夫は、さすがにテレビ局の専門家がやることだから、上手くいってたと思う。しかし、作品が持つ全体的な雰囲気は、現物を手にしたときに感じるものとは違っているように思われた。はっきり言えば、私が意図した魅力が十分に伝わってこない感じであった。良しにつけ悪しきにつけ、画像が過度に鮮明なため、不自然なのである。それが制作者としていたたまれないような気持ちにさせた。

 しかし、番組の中で紹介された、世界の名だたる作品たちは、いずれも十分な存在感を現していた(作者が見ていたら何と言うか分からないが)。となると、やはり私の作品は見映えのしないものということになるのかも知れない。

 見せるために作られた物と、使うために作られた物では、基本的に性格が違うと思う。見せるための品物は、どのような場面に於いても光彩を放つが、使うためのものは、使われるに相応しい場所でないと存在感は薄い。私の作品のテレビ映りの違和感は、そのようなことが原因かも知れないと思った。

 使うために作られた物でありながら、見せるために作られた物のような外観を有することが、作品として理想的なのだろうか。美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れるという言葉がある。美人はその美しさとは裏腹に中身がなく(実用的でなく)、ブスは表面に現れない美徳を有している(実用的である)という意味だと思う。相反する性格を併せ持つということは、その性格がお互いに邪魔しあう可能性もあり、なかなか難しいことではなかろうか。

 さて、番組の方は、たいへん興味深い内容であった。佐々木氏のナビゲーションが絶妙で、スタジオの司会者(壇ふみさんと野村正育アナウンサー)との会話がうまく絡み合って盛り上がっていた。その雰囲気の良さが印象的だった。あくの強い美術評論家などが登場して、番組を台無しにすることも過去にはあった。今回は、奥の深い話題が、分かり易くひもとかれて、楽しめた。言葉の伝道師たる詩人の美しい言い回しは、それだけで美術館の作品のように光を放っていた。 



ーーー9/12ーーー 田子の浦から富士登山

 
ある登山家のブログに富士山の話題があり、それに投書をしたのだが、その内容が懐かしい出来事だったので、ここに紹介しよう。それは、海面から富士山に登った体験である。

 若かった頃、インド洋からエベレストに登るという記録映画を見た。そのスケールの大きな発想に驚いた。同じような事を国内でも出来ないかと考えた。幸いなことに、日本の最高峰は海の近くにある。太平洋から富士山に登る。これはできそうだと考えた。

 1979年8月、そのアイデアは実行に移された。同行者として一人の女性を誘ったが、断られた。仕方なく一人で行くことになった。

 東海道線で沼津の先の吉原にて下車。田子の浦の海岸まで歩いた。波打ち際で足を濡らし、ひるがえって富士山を目指す。その日は途中の街道のバス停で野宿をした。翌日は原生林を突っ切って五合目へ、さらに頂上まで上り詰めた。海岸から山頂まで、実動16時間であった。

 山頂の小屋に泊まり、翌日下山した。下山の前に、山頂の郵便局で同行を拒否した女性に暑中見舞のハガキを出した。後日会ったときに、宛名の字が間違っていたと指摘された。空気が薄くて意識が鈍かったのか。ちなみにその女性は後に私の妻となった。そして今になって、同行しなかったことを後悔している。

 下りは富士吉田を目指した。富士急の駅まで歩いて降りた。市街に着いたのは、まだ午前の早い時間だった。振り返ると、富士の大きな山体が薄紫色にそびえていた。

 標高差3776メートル。国内では、これ以上の標高差を歩いて登ることはできない。そんな事が面白かったのだが、この体験をある山岳会の人に話したら、会の中で評判となり、同じ事をやる人が何人も続いたそうである。



ーーー9/19ーーー ガレージ・キット

 
ガレージ・キット(GK)なるものを知ったのはつい最近のことである。東京に住んでいる長女が8月下旬、そのフェスティバルを見に行った。会場は有明ビッグサイト。先日娘が帰郷したので話を聞いた。

 開場前から長蛇の列だった。それで中に入るまで1時間かかった。会場内は、老若男女、家族連れまで、様々な人で溢れかえっていた。ちなみに会場には2000円のチケットを買わないと入れない。人気のブースには黒山の人だかりで、人気のGKは軒並み完売であった。人気作家が作る完成モデルの前にはカメラ小僧が群がり、レフ板まで使って写真を撮っていた。現代の日本で、これほど熱した世界があったのかと、不思議な気持ちになった。娘の話はおおむねこのようなものだった。

 GKというのは、プラモデルのメーカーの仕事と同じことを、個人が行うものである。つまり、原型を作り、型を取り、樹脂を流し込んでキットを作り、簡単な説明書を付けて包装し、販売するのである。ガレージの片隅でできるキット制作なので、このような名が付いたとのこと。

 一般のプラモデルは、加熱して軟らかくしたプラスチックを金型に入れて成形する。GKの場合は、無発泡性ポリウレタン樹脂などを使う。その決定的な違いは、精度の高さだという。一度GKに手を染めたら、普通のプラモデルは馬鹿らしくてできないという話もあるとか。精度の他に、質感とか塗装の乗りの良さなどのメリットもあるようだ。

 キットの対象となるジャンルは、ロボット、怪獣、恐竜から兵器、自動車、バイク、飛行機、あるいは動物、魚、城など、いわゆるプラモの世界と同じで多岐に渡る。その中でも話題を集めるのは少女フィギュアだろうか。

 この、言わば手作りキットの世界は、日本オリジナルの文化であり、海外から注目されているとのこと。一流の原型師が作ったキットを、プロのモデラーが完成したフィギュアは、高額な値段が付く。海外から来るミュージシャンやアーティストの中には、それを買って帰ることを楽しみにしている人もいるとか。

 フェスティバルには1000を越えるブースが出る。アマチュアもプロも同じ条件で展示、販売をする。来場者の大半は、気に入ったキットを買って帰り、自分で組み立てて楽しもうとする人たちだ。だから出展者と来場者の間には、技術交流や情報交換が盛んに行われる。しかも、趣味の世界だから、ある種のマニアックな熱気がある。フロアーを埋め尽くす熱気が上昇気流となり、建物の天井付近に雲が発生するくらいだと、驚きの話もある。

 手作り木工家具のジャンルでも、このように熱したフェスティバルがあれば楽しかろう。海外のクラフト・フェスティバルの中には、これに近い雰囲気のものもあるらしい。日本ではまだそこまでいってないのが現状だ。



ーーー9/26ーーー 木ー(キー)

 木工家だから、キーホルダーを木で作るというようなことは、当たり前のようにやる。ここではちょっと毛色の変わった、キー関係の木工細工をお見せしよう。自家用車のキーの取っ手部分を、木で包むというものである。

 実は以前からやっていたのだが、先日そのキーを家内がショッピングセンターの排水溝に落として、無くしてしまった。それで、スペアキーを使って作り直した。以前のものはあまり形が気に入ってなかったので、新しい形にした。写真の軍配型のものが、新しい木ー(キー)である。となりの金属製のものは、加工前のスペアキーと同じ物。

 このような遊びは、だいぶ昔に米国の木工雑誌で知った。加工は別に難しいものではない。二枚の板を張り合わせて、キーを挟み込むのである。板の合わさる面に、キーの形を写し取って、キーの厚みのぶんだけ掘り込んでおく。そして、エポキシ接着剤を使ってキーもろとも板を貼付けるのである。エポキシ接着剤は固化する際に収縮しないので、充填も兼ねた接着に向いている。固まってから輪郭を切り抜き、形を整えて出来上がりとなる。

 キーはあらかじめ金ノコで切って小さくしておくのがポイント。そうしないと、出来上がりがむやみに大きなものになってしまう。

 材は、よごれが目立たないよう、濃いめの色を持ったものが好ましい。この材はシュリ桜。桜の中でも色の濃い材で、年月が経つとチョコレートくらい濃い色になる。また艶も良い。以前作ったものは、ブラックウォールナットだった。それは色が濃過ぎて、ちょっと地味だったように思う。今回のものは、どんな感じに落ち着くか。

 こんなことは、まったくどうでもいいような遊びである。しかし、使ってみるとなかなか気持ちが良いのも確かである。まず手触りが良い。これに慣れると、金属のままのキーはまことに味気ない触感である。また、見た目のかわいらしさも良い。運転台でキーを抜き差しするときに、ハンドルの向こうに見えるこの木の小物体が、プラスチックと金属だけの周囲からくっきりと際立つ。なんだかとても愛らしい小物なのである。

 今回のものは、雰囲気は良くできたと思う。しかし、ちょっと小さかったかも知れない。加工前の金属製のものと比べて、最大巾は同じなのだが、形のせいか、あるいは縁が丸みをおびているせいか、鍵孔に差して回すときに多めの力を要するのだ。使用に差し支えはないが、ちょっと違和感がある。ほんのわずかなことだと思うが、改善の余地がありそうだ。今度家内が無くしたら、別の大きさ、形で作ってみよう。

   




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